〔紫風〕第106号

投稿者: | 2018年3月31日

高校1年の夏、新聞部の顧問に連れられて南三陸を訪れた。当時は震災から2年半が経過しており、惨状を伝える報道は影を潜め、むしろ復興の兆しを伝えるニュースが増えていた▼しかし、私たちを乗せたバスの窓から見えたのは、どこまでも続く更地と一定間隔で積まれたがれきの山だった。目を疑った。「これのどこが復興なんだ?」。半分ぐらいは元通りになったろうと軽く考えていたが、突き付けられたのは被災地の現状だった▼2012年、仮設住宅の入居者数は岩手・宮城・福島の被災3県で25万人を超えていた。今年の1月末には約3万人にまで減少しており、復興は確かに進んでいる。それでも、「まだ3万人」だ。そのうち約1万4千人はプレハブで暮らしている▼一方では沿岸部の過疎化が進んでいる。宮城県女川町の人口は震災前と比べて約66%にまで減少した。報道カメラの死角には、まだあの殺伐とした光景が広がっているのだろうか▼帰ってさっそく記事を書く。だが、手ごたえはなかった。何人が真面目に読んでくれただろう。ゴミ箱に突っ込まれた新聞を目にし、無力さを感じた▼南三陸の小学校の先生が語った言葉が忘れられない。「私たちは風化と風評の、二つの風と闘っているんです」。震災直後の混乱も収まった今、「風評」の風は弱い。「風化」の風はどうだろう。これから先、強くなるばかりではないか。当時あれほど叫ばれた防災を、今どれだけ意識できているだろうか。たまにでいい。思い出すことしか、風化と闘うすべはない。

【細田純也】