〔紫風〕第105号

投稿者: | 2018年1月27日

ようやく、京都での生活にも慣れてきたころだ。一方で帰省すると、これまた田舎暮らしもいいものだと思う。「京に飽きて/この木枯や/冬住ひ」芭蕉の、最後の東下の旅で詠まれた句だ。都会暮らしに飽き、木枯らしを聞きながらの田舎暮らしが大変慕わしい。その思いは今にも通ずるところがある。

それでもやはり、田舎の木枯らしは厳しいものだ。「木枯らしに/二日の月の/吹き散るか」芭蕉の弟子、山本荷兮はこう詠んだ。冬の厳しい木枯らし、細い二日月は今にも吹き散りそうだ。「二日月」という言葉が受けたのか、この句は人口に膾炙し、「木枯らしの荷兮」とまで呼ばれた。

荷兮が今生きていたら何と詠んだろう。1月2日は今年最大の満月「スーパームーン」が見られた。おととし11月から約1年2か月ぶり。天気にも恵まれ、各地で観測された。これだけ大きな「二日の月」なら、吹き散るのは、むしろ木枯らしの方か。

月はいいが、大きいと困るものもある。北朝鮮の金正恩委員長が「核のボタンは常に私の机上にある」と発言したことに対し、トランプ米大統領は「私の核ボタンの方が大きい」と挑発。緊張はなお高まるばかりだ。もしボタンが押されてしまえば、吹き散るのは木枯らしだけでは済まない。

さて、荷兮の句は後に、師の芭蕉にこう批評される。「荷兮の句は、二日月という言葉がいいだけだ。この言葉がなければ、大したことはない」なるほど、何か一つに頼り切るのもよくない、ということだろう。ボタン一つでは、平和の実現はなかなか難しい。  【細田純也】