「いいね」と「排除」のSNS時代 〔時事閑話〕

投稿者: | 2018年1月27日

昨年、「インスタ映え」という言葉が流行した。ネット上でたくさんの「いいね」をもらう快感が、社会現象のように人々を魅了しているからだろう。

一方で昨年、多くの人を失望させてしまった人もいる。その一人が小池百合子東京都知事。国民の期待感を一身に背負いながら、「排除」という一言で台無しにしてしまった。

それにしても、私たちはどうしてあの一言に強い拒否感を抱いたのだろう。響きが強すぎた、とも言われているけれど、「ばか」とか「死ね」とか悪意に満ちた言葉を平気で放つ政治家は世の中にたくさんいる。

そんなことに比べれば「排除」なんて、庶民の生活には十分に馴染んでいる。排泄物はトイレに流すし、余計なものはゴミ箱に捨てる。買い物ではなるべく不要なものをカゴに入れないように。私たちの暮らしは、よく見ると「排除の論理」だらけだ。

なのに、小池さんが「排除します」とほほ笑む映像を見ると、何となくむずむずする。人はどんなときに、「排除」が嫌になるんだろう。そんなことを思いながらSNSを眺めてみて、はたと膝を打つ。ブロックされた時だ。

私たちはSNSの世界でも、居心地のよい環境づくりのために日々「排除」を繰り返す。興味のある人はフォローするけれど、関係が薄れたり興味がなくなったりするとフォローをはずす。場合によってはブロック。指先一つの簡単操作。

けれど自分がブロックされると、「あなたがいると不快だ」と宣告を受けたようで、胸がツンと痛む。ボタン一つの手軽さに、なおさら気分は暗くなる。余計なものは排除したいくせに、誰からも好かれたままでいたい。だって「いいね」はたくさん欲しいもの。

そんなSNS時代を生きる私たちは、同じように「排除」された政治家たちへ、知らぬ間に共感を抱いていたのだろう。昨年の衆院選では、希望の党から落ちこぼれた政治家たちの「立憲民主党」がSNSを巧みに使いこなして支持を拡大。本部すらない張りぼて政党が、野党第一党に躍進した。不幸をシェアして選挙に勝ったのなら、ずいぶん悲しい社会でもある。

お昼のごはん、沈む夕日。毎日の平凡な一場面も、スマホのレンズを通せば「映える」。だんだん他人からの評価ばかり気にして、いつも心は落ち着かなくなる。まるで政治家。表もあれば裏もある暮らし。「裏なんだよ! こっちはよー!」と、秘書を殴りつけて名声を失った政治家もいたけれど、あしたは我が身かもしれない。

SNSに振り回されっぱなし。そんなツール本当に必要? 年の暮れ、大掃除の感覚で、知り合いと繋がっていたSNSのアカウントを一斉に削除してみた。ちょっと不便なこともあるけれど、別に死ぬわけではありません。心が疲れたときにオススメです。溜まったホコリを払い出すようなすがすがしさがありますよ。

SNSがなくなって本当に困ったことになったら、またアカウントをつくればいい。出たり入ったり気軽にできる、それもSNSのよさじゃないかな。【銘苅拓也】