発掘!! 68年前の学生手帳

投稿者: | 2017年10月25日

ここに一冊の学生手帳がある。カバーはしわだらけで、中身もすっかり黄ばんでいる。テープで補強でもしないかぎり、その姿を保てない。それもそのはずで、今から68年前に交付された手帳だ。

私の父方の祖父がこの手帳の持ち主だ。祖父は1949年に本学に入学した。私が生まれるよりも前に亡くなっているため、直接その体験を聞くことはできない。しかし、この手帳から、昭和20年代の本学や学生の様子をうかがい知ることができる。

ページを開くと、祖父の顔写真と身分証明書が出てくる。今では学生証と手帳は分離しているが、当時は一体となっていた。「使用心得」には、『本手帳は他人に貸与し、又は譲渡してはならない」と、今でも学生証の裏にある文言が並ぶ。

身分証明証によると祖父は「教養学部」に入学したとある。当時の大学学則によると、1・2回生は一般教養科目中心の、そして3回生になったときにそれぞれの専門科目を中心に履修することが定められていた。この下級生の段階を一括して「教養学部」としていたのだろう。このような制度は、東京大学が有名であるが、本学でも採用していたとは驚きだ。ちなみにこの「教養学部」、1951年には廃止されているため、わずか4年しか存在しなかった「幻の」学部だ。

当時の時間割も残っていた。なんと1限開始は8時20分だ。地下鉄は開通しておらず、阪急は大宮駅、京阪も三条駅までしか開通していなかった当時の京都。学生はそこから市電に乗り換え、通学していた。祖父も東大阪からはるばる来ていたという。当時の苦労が偲ばれる。

ほかにも、入学式が4月20日に行われていたり、大学関係者の住所が掲載されていたりなど、現在と異なる点がページをめくるたびに見つかる。しかし、現在にもつながる事柄も存在する。例えば「学友会所属団体」の欄には、「新聞局」や「グリークラブ」「軽音楽部」など、現在も学内に存在する団体名が掲載されている。カレッジソングも”one purpose”だ。なによりも変わらないのが、メモ欄の使い方だろう。英語の文章、連絡先、試験の日程が、雑然と書き込まれている。これは現在の私たちも変わらないのではないか。

今の本学の様子を伝えたらどんな感想を抱くだろうか。その姿を想像すると、会ったことがない祖父と、自分とのつながりが、ようやく感じられた。【高橋 翼】