葵祭 現代に薫る王朝文化

投稿者: | 2017年5月24日

5月15日に葵祭が行われ大きな賑わいをみせた。今回はこの祭りと有名な斎王代の成り立ちについて調べた。

欽明天皇の治世、京都をはじめ日本全国に疫病が流行し飢饉が流行した。原因は上賀茂神社の神様である賀茂の大神の祟りであると占いによって判明したので、天皇は勅使を立てて賀茂の大神を拝ませる。すると五穀豊穣が実現し疫病が治まった。そして国家祭儀として毎年参詣が行われるようになった。これが今日の葵祭の元となる祭りの成り立ちである。数回の中断の期間を挟みつつも祭りは現在に葵祭として受け継がれている。

この祭りが葵祭と呼ばれるようになった契機は承久の乱以降の中断を経て1694年に賀茂の祭りが復活したときで、祭りの行列を葵の葉で飾ったためだ。現代の葵祭では平安の装束に身を包んだ勅使代と斎王代の行列が御所の南を出発し、下鴨神社と上賀茂神社を巡る。

斎王代とは斎王の代わりという意味である。平安初期に伊勢神宮に倣い上賀茂神社に斎王が置かれた。斎王とは、代々皇族の未婚の女性が務める神官の役職だ。賀茂参詣の祭りが承久の乱以降中断したことに伴い、この斎王も途絶えてしまった。

太平洋戦争中の中断を挟み、葵祭が復活した次の年、葵祭を盛り上げることを狙って、斎王代が京都にゆかりのある女性の中から毎年選出されることになった。

今年の斎王代は本学の学生である。葵祭がより身近になる1年ではないだろうか。【湯川哲至】

御所を出て、下鴨神社へ向かう行列(2016年撮影)

神社での儀式で使われる太鼓

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