〔寄稿〕 エリートの理想による犠牲者たち

投稿者: | 2017年3月18日

 昨年、一つの衝撃が世界を走った。ドナルド・トランプという衝撃が。去る合衆国大統領選挙は、特にエスタブリッシュメント層やエリートらに動揺をもたらした。

 だが、各国で極右とされる勢力が支持を集めていることも含め、こういった事態を招いた一因はそのエリート(と追従者)達自身にあるのではないだろうか。確かに彼らの頭の中にはグローバル化、多文化共生、難民救済といった(彼らからすれば)美しい絵図面が描かれていた。しかし彼らの足元では、様々な問題に苦しむ国民が、人権を盾に難民・移民の侵略を受けた上に血税までも奪われている、と忌々しく思っていた。にも拘らず、理想に酔うエリート層は人々から遊離して彼らを顧みず、傲慢にも大儀の為だとして犠牲を強いた挙句、自らの気に食わない、理解できない民主主義の結果を「大衆迎合」だとして感情的に攻撃する始末だ。これでは最早、選良とは呼べない。

 去年10月21日の毎日新聞で、歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は、連合王国の欧州連合離脱やトランプ現象は「民主主義の復活」であり、多数のエリートが本来の在り方から乖離した結果、グローバリズムに蚕食された人々の叛逆を受けたのだと述べた。ただし彼によれば、連合王国に、人々を率いて共に歩む、ボリス・ジョンソンに代表される本来のエリート達が生き残っていたのがまだ救いだった。

 さて、しかし最大の問題は、果たして我が国はどうか、ということである。これを機会に考えてみては如何だろうか。  

神・1 長砂翼さん