過激な風刺、主張に批判も フランスと表現の自由

投稿者: | 2016年10月9日

8月24日に発生したイタリア中部地震。死者は240人を超え、避難者は2000人以上と壊滅的な被害を受けた。多くの国が哀悼の意を示す中、フランスの週刊誌「シャルリー・エブド」は8月30日号でがれきの下敷きになり血を流した犠牲者をイタリア料理「ラザニア」と風刺し非難が殺到。これまでにもイスラム教や福島第一原発など、フランス国内外の政治や宗教を取り上げ、過激な主張を繰り返してきた。表現の自由とはいったいどこまで守られるべきなのか。世界中で議論となっている。

シャルリー・エブド誌といえば、2015年1月7日に起こった襲撃事件が記憶に新しい。イスラム教やその預言者ムハンマドを茶化すような過激な風刺画を何度も掲載したことが発端となり、編集長やコラム執筆者らあわせて12名が殺害された。この事件は「表現の自由への挑戦」として国際的に多くの反響を呼び、マスコミや政治家の多くがシャルリー誌を支持。犠牲者の追悼式やSNS上では「Je suis Charlie(私はシャルリー)」という合言葉まで生まれ、「シャルリー」は表現の自由の象徴として祭り上げられた。

しかしフランスと他国における表現の自由の意義は異なる。大多数の国において、表現の自由は最大限尊重されるものの、他者の尊厳や人権を侵害するものはこの限りではない。

しかし王を倒し共和政を樹立したフランスでは、表現の自由を守ることは国是だ。風刺や皮肉は市民を虐げる絶対王政の下、自分を守るために身につけた国民性であり、権力と闘うための一つの手段。表現の絶対的な自由を制約することがあってはならない。それが他者を傷つけるものであったとしてもだ。

以前の襲撃事件では「表現の自由」という言葉が先行してしまったが、文化的土壌の差異のため、フランスと他国ではそもそもの言葉の意味の捉え方が異なる。「表現の自由」は民主主義の健全な発展のためには欠かせないものだが、各国でその認識をすり合わせるのには時間がかかりそうだ。【森元 茜】